60年代 お笑い芸人

お笑い芸人一覧; 年代順 ... どんきほ~て 昭和60年(1985)結成 ともにnsc2期で、卒業後にきびのは月亭八方に弟子入り、大平は別のコンビで活動をしていましたがすぐに解散。 1985年の吉本新人トライアルでコンビを結成し、実力派として新人コンク […] よしもとca: ワタナベE: 太田プロ: ホ リ プ ロ: 人 力 舎: マセキ芸能社: サンミュージック: 松竹芸能: ケイダッシュ 2010年代後半になると、1987年(昭和62年)以降に生まれたデジタルネイティブである「ゆとり世代」や 、1989年 1月8日生まれ以降の平成生まれに該当する、2010年代後半から活躍し始めた若手お笑い芸人を指す俗称として「お笑い第七世代」という言葉が用いられるようになる 。 さんま、タモリ、たけしのお笑いビッグ3からダウンタウン、とんねるずの第三世代から最新の第七世代までお笑い界における各世代を昭和から令和まで全紹介。伝説の漫才コンビからカリスマとなっている落語家、一世を風靡したピン芸人…あなたの好きな芸人は何世代? 『古事記』の中の岩戸隠れのエピソードが記録に残されている日本で最も古い笑いのひとつだと思われる[1]。, また、をかしみのある話の源流は『竹取物語』、『今昔物語』または『宇治拾遺物語』に収められた説話にさかのぼる事もできる[1]。, 物真似や軽業・曲芸、奇術、幻術、人形まわし、踊りなど、娯楽的要素の濃い芸能の総称として散楽が発達し、そのうちの物真似芸を起源とする猿楽は、後に観阿弥、世阿弥らによって能へと発展した。曲芸的な要素の一部は、後に歌舞伎に引き継がれた。滑稽芸は狂言や笑いを扱う演芸になり、独自の芸能文化を築いていった。奇術は近世初期に和妻となった。散楽のうち人形を使った諸芸は傀儡(くぐつ)となり、やがて文楽(人形浄瑠璃)へと引き継がれていった。, 明代の滑稽な話を集めた本(笑話集)の影響を受けて、安楽庵策伝によって『醒睡笑(せいすいしょう)』が1623年に著されている[2]。, 1903年、東京市浅草区浅草公園六区に、「日本で初めての常設活動専門館」として「電気館」がオープン。以降、映画は常設の興行メディアとして、東京・大阪といった大都市のみならず、日本全国に拡大した。特に、1930年代トーキー映画の技法が確立すると、榎本健一など軽演劇の人気者が出演するようになり、その人気が全国的なものとなった。また、落語や漫才もラジオに加え映画によって地方の住民も楽しむようになった。, 1960年代に一般家庭にテレビが普及するまでは、全国に向けてのメディアは、ラジオと映画であり、特に映画は、その予算や影響力から、森繁久彌などトップスターを輩出した。, 1953年、NHK・日本テレビが相次いで開局したが、当初一流俳優などはテレビを「電氣紙芝居」として敬遠し、その結果それまで浅草公園六区や新宿などで活躍していた軽演劇の役者など、実力はあるが陽の目を見ず燻っていた者達がテレビの世界に飛び込んだ。三木のり平や八波むと志・由利徹・南利明の「脱線トリオ」、佐山俊二、関敬六・谷幹一・渥美清(のち海野かつをに交替)のスリーポケッツ、石井均一座の他、浅草で人気を博していた大宮敏充の「デン助劇団」などが初期のテレビ・バラエティを飾っていた。, 一方、大阪でも梅田の実演劇場・北野劇場に出演していた薄給のコメディアンであった茶川一郎、佐々十郎、芦屋雁之助、芦屋小雁、大村崑等に白羽の矢が立ち、花登筺脚本の一連のコメディーで脚光を浴びた。とりわけ大村は時代の寵児となり、「コンちゃん」ブームを巻き起こした。この他に藤田まことや白木みのる等が進出。吉本新喜劇は当初からテレビを意識して制作されたもので、毎日放送とのタイアップもあり多くのスターを生み出した。一方の松竹新喜劇も看板役者の藤山寛美がよみうりテレビを中心にコメディー数作を発表した。, 1959年、フジテレビ開局と同時に始まった時事コント番組『おとなの漫画』は、本来本格的なジャズバンドであったハナ肇とクレージーキャッツを起用。青島幸男作の洗練された都会的なギャグで一躍市民権を得た。クレージーはこのあと日本テレビの『シャボン玉ホリデー』で更に人気を増し、国民的なお笑いグループとして認知された。特にメンバーの植木等が演じる「無責任男」が高度経済成長を背景とした時流に乗り、大いに当たった。, 『シャボン玉ホリデー』もそうであったが、この手の番組の嚆矢は同じ日本テレビの『光子の窓』である。草笛光子を主役に起用したこの番組は、歌と踊りと笑いの全てを集約させた音楽バラエティであった。このあと、NHKが『夢であいましょう』をスタート。渥美清、E・H・エリック、黒柳徹子などがコントを演じていた(作・永六輔)。 芸人(グループ)1960年代結成. 関連項目:芸能人目次 芸人. ¦ã¸å—け流すの歌, にしおかぁ~、すみこだよぉ~, 3の倍数と3が付く数字のときだけアホになる, ヒウィゴ~ ありがとう オリゴ糖, な~に~、やっちまったなぁ!, ちっちゃいことは気にすんな、それワカチコワカチコ~, ゴッホ(ピカソ)より、普通に、ラッセンが好き, 安心してください、穿いてますよ, ペンパイナッポーアッポーペン, 全裸に股間をお盆で隠しただけの姿. その後、後にお笑い第三世代の代表格とされるとんねるずがビッグ3の独占状態だったテレビ界に割って入り、前述の三者のお笑いは古いとまで言わしめた。その後、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンも、とんねるずを追いかけるまでの人気を獲得した。この経緯によりとんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンがお笑い第三世代の代表格とされている。この3組の活躍とともに「楽しくなければテレビじゃない」を標榜し「軽チャー」路線を打ち出したフジテレビが多くのバラエティ番組を制作し人気を博した[5]。 ザ・イロモネア 笑わせたら100万円』や『お笑いメリーゴーランド』(ともにTBS)『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)での「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」など、短尺のネタを1ネタだけ披露させる構成のネタ見せ番組がブームとなる。ネタの時間が短いため多くの出演者を確保でき、新人芸人の出演チャンスが増やされた事がこれらの番組の大きな特徴である。2007年に放送開始された『あらびき団』(TBS)などでも短いネタ見せを中心としており従来の番組とは趣を異にしている。, このような番組が増える中で、単に番組用にネタ時間を短く調整した漫才やコントだけでなく、もともと短く構成されたショートコントや一発芸、キャラネタ、リズムネタなどが数多く生み出され、そのようなネタに適応したピン芸人が台頭した他、ブリッジを多用した「一発屋」といわれる芸人が急増。ピンネタでブレイクした芸人の中にはレイザーラモンHG、犬井ヒロシ、なだぎ武、世界のナベアツ、ムーディ勝山、天津木村などもともとコンビを組んでいるにもかかわらずピン芸人のような扱いを受けた若手・中堅芸人も多い。一発屋芸人は年末年始の番組に出演し一世を風靡するものの、その年の末から年明けには飽きられその後テレビから姿を消す、という新たなパターンが生まれた。また、こういった芸人はNHK紅白歌合戦に特別出演したり、流行語大賞を受賞するケースがほとんどである。, 大ブームを起こした芸人が消費し尽くされてしまうと簡単に忘れられてしまう、という傾向は年を経るごとに激しくなっていた。このようなブームはそれまでお笑いに興味すら示さなかったような人々まで包括したため、その人気の基準は一種のトレンド的な性格を強めるようになり、芸人の在り方の変容ともされたが、一方でそれは笑いのレベルの低下と見る向きもあった。, また次長課長・井上聡、チュートリアル・徳井義実などに代表される“イケメン芸人”が急増したことや、お笑い情報のみを取り扱ったお笑い専門誌が次々に発行されたりといった芸人のアイドル化が見られるようになった。, この時代は一時的にコント番組が復活傾向にあった時期で、『はねるのとびら』『リチャードホール』『10カラット』『ミンナのテレビ』と各局で若手芸人のコントコーナーがある番組が存在していた。, 2010年代に入ると、かつての『ボキャブラ天国』の凋落と同様に、2000年代のお笑い人気を支えたバラエティ番組やネタ見せ番組が慢性的な人気低下を抱えるようになる。いわゆる「テレビ離れ」の影響が示唆される中[6]、2010年の『M-1』の一時終了に始まり、やがてほとんどのお笑い番組が放送を終了した(もしくは定期の特番化)。また、BPOによる規制などテレビ局にコンプライアンスが求められるという時代の流れも相まり、ある意味でハラスメント的な性格を含むお笑いバラエティ番組への風当たりが強まったことで[6]、『めちゃ2イケてるッ!』『とんねるずのみなさんのおかげでした』といったかつてお笑いブームを牽引し長寿番組となっていた番組までもが相次いで放送を終了した。, また、コンプライアンス問題は芸能人側にも波及し、不祥事で活動を休止するお笑いタレントも現れ、暴力団関係者との交際が噂されていた島田紳助は多数のレギュラー番組を抱えたまま2011年に芸能界を引退した。2019年にはお笑い芸人による闇営業問題が発覚。特に後者は吉本興業所属タレントが多数関与していたことから、吉本内外からマネジメント体制の不備が批判される事態となった。, しかしそんな中でも、『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』(テレビ朝日)や『人志松本のすべらない話』(フジテレビ)などの実力ある芸人によるトークバラエティ番組や、芸人の他に俳優やタレント、アイドル、知識人などを交えた一般的な情報バラエティ番組などは変わらず安定して人気を獲得。それに伴い「雛壇芸人」というジャンルが大々的に紹介され、「お笑いファン」の間で新たなジャンルとして知られる様になった。また、加藤浩次・近藤春菜の『スッキリ』(日本テレビ)、南原清隆の『ヒルナンデス!』(日本テレビ)、設楽統の『ノンストップ!』(フジテレビ)など、午前-昼間に放送する比較的お笑い要素の少ない情報番組で芸人がMCやコメンテーターを務めるというケースが増加した他、田村裕や又吉直樹の著書がベストセラーとなるなどお笑い芸人の活動に多様化が見受けられるようになる。ただ、このような展開によってお笑い界の第一線に定着したのは第三、第四、第五前期などの世代に該当するような既に「売れている」芸人たちであった[8]。一方、フジテレビにおいて次世代の若手を発掘すべく制作された『新しい波16』から発掘されたメンバーによる『ふくらむスクラム!!』→『1ばんスクラム!

!」や各局のお笑いオーディション番組で活躍した山田邦子、とんねるずを筆頭に頭角を現し、タモリ、明石家さんま、ビートたけしのビッグ3がテレビ界を独占している状態であった。, 1980年代中期、民放各局は深夜放送が急増、セミプロ・アマチュアのタレントの登場により、お笑いシーンに変化が訪れ、若手主体による小劇場やライブ・スペースが東西問わず数多く開催(主に心斎橋筋2丁目劇場、ラ・ママ新人コント大会)され、旧来の師弟関係での定義が薄れ、タレント育成所・ライブ出身者になる新たな仕組みが生まれた。さらに演劇界では、演劇的な笑いを織り交ぜたシティボーイズを代表に新たなジャンルを切り開いた。メディアでは漫才ブーム〜ひょうきん族世代以降のタレントを「ニューウェーブ」や「新人類」と総評し、さらに民放各局が終日24時間放送を実施。深夜番組が一世代に比べて一層に拡大。 この時代まではお笑い第二世代と同様、お笑い芸人がブレイクする番組のフォーマットは基本的にはコント番組がほとんどであった。, 1990年代に入ると、これまでのバラエティ番組人気の中心となっていたフジテレビに倣う形で、ターゲットおよび内容をサブカルチャー的観点に絞り込んだ多種多様なバラエティ番組が多く制作されることとなった[6]。, 視聴者投稿を元に作られていたテレビ番組『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ、タモリ司会)が、「大勢の若手芸人がネタを競い合う番組」に変化すると、若い女性などを中心とする特定層の支持を集めた。この番組をきっかけに知名度を得た世代をお笑い第四世代と呼ぶことが多い[4]。爆笑問題、ネプチューン、海砂利水魚(現:くりぃむしちゅー)などは、のちに各局で冠番組を持つことになる。, 『進め!電波少年』(日本テレビ、松本明子らが司会)は、アポイントメントなしの突撃インタビューをはじめとして、台本のないドキュメンタリーの味わいを取り込んだ番組だったが、特に後半は若手芸人に私生活を犠牲にした体験・チャレンジ企画をさせて笑いの種とする構成となり、過剰演出(やらせ)の傾向が強くなる。, そんな中で、過酷なヒッチハイク旅行を行なった猿岩石が、お笑いというよりも共感できる等身大の若者といった位置付けで人気を博し、彼らが唄った楽曲が一定の売り上げを集めたり、旅行中に記した日記をまとめた書籍が売り出され、版を重ねるなど、社会現象化する。, しかし、その後同様のコンセプトで、ドロンズ、なすび、ロッコツマニア、矢部太郎(カラテカ)らを起用して話題を提供しつづけたが、あくまで企画自体の面白さが中心にあった為に、企画自体がパターン化すると飽きられるのも早く、番組の人気も急に失速した。また、芸人を育てるというよりも消費し尽くすといった性格が強かった為に、後半になると視聴者からの苦情や批判も殺到するようになり、これも番組が終了するきっかけともなった。, 広告代理店やジャーナリズムによる造語「第四世代」という定義に厳密に合致していないが、ほぼ同時期のものとして、フジテレビ『とぶくすり』(のちの『めちゃ2モテたいッ!』→『めちゃ2イケてるッ!』)や日本テレビ『ぐるぐるナインティナイン』などがあり、これらの番組からナインティナイン、よゐこらが1993年頃から知名度を得た。これらに通底しているのはロケーション撮影(ロケ)の多用、そして同時代性である。, 1990年代初頭に漫才スタイルがダウンタウンのもとで飽和に達し、それ以降の芸人やお笑い番組は違うスタイルを築きあげる必要にせまられた。その経済学的にいう(商品)差別化の中でたどり着いたのが、街に繰り出し現場や社会を笑いのネタにするというロケーションの手法であり、「リアル」を笑いにして視聴者を惹きつけるとともに、テレビに映る若者が参加しているという同場所性や、それを通して若者と同世代を生きているという同時代性が親近感を醸成し、ヨコの繋がりを生み出して、漫才やコントとは違う人気に結びついた。, その結果、お笑い第二世代や第三世代の時代に全盛を極めたコント番組が減少し、コント番組以外でブレイクする芸人が出てきたのもこの世代からである。, テレビ番組におけるテロップが頻繁に使われだしたのがこの頃。出演者の発した言葉を逐一字幕化する手法が多用される一方、『電波少年』『めちゃイケ』などでは補足テロップ(『探偵!ナイトスクープ』が発祥とされているツッコミテロップ)を挿入する手法がとられた(共に2000年代も多用されている)。, 吉本興業が東京・銀座に進出し、「銀座7丁目劇場」を開場。当初は吉本印天然素材の東上が売りであり、日本テレビやテレビ朝日でタイアップ番組も作成されたが、間もなく他に劇場に出演していたココリコ、ロンドンブーツ1号2号らがテレビ番組に集中的にフィーチャーされることになる。また、NSC東京校が1995年に開校し、東京でも本格的なタレントの育成を手がけるようになった。, ジャニーズ事務所の所属のグループ、SMAPが自身の冠番組、SMAP×SMAPにてスタジオコントに積極的に取り組み、視聴率30%超のブレイクを起こし「平成のクレイジーキャッツ」との異名も取る[7]。その後の所属事務所の後輩のTOKIO、V6、KinKi Kids、嵐、タッキー&翼、関ジャニ∞、KAT-TUN、ジャニーズJr.等のジャニーズ事務所の所属のタレント・アーティスト等がお笑い系のバラエティ番組等に進出する契機となる。, 東京吉本の渋谷公園通り劇場が1998年、銀座7丁目劇場が1999年、大阪でも心斎橋筋2丁目劇場が閉館した。そんな中、2001年にルミネtheよしもとが開館し、大阪でも心斎橋筋2丁目劇場に続く若手芸人の拠点として、baseよしもとが開館。また、1999年にスタートした『爆笑オンエアバトル』(NHK)を始め、若手のお笑い芸人たちを発掘しようとする動きが起こり、その他にも2000年代中盤から『エンタの神様』(日本テレビ)、『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)、『笑いの金メダル』(朝日放送)などいわゆる「ネタ見せ番組」が増え始める。また、2001年には島田紳助企画立案の結成10年以内のコンビを参加対象とした新たな漫才コンテスト『M-1グランプリ』(朝日放送)が立ち上がり、翌2002年からは1人芸を対象にした『R-1ぐらんぷり』(関西テレビ→カンテレ・フジテレビ共同)が、2008年からはコントのコンテスト『キングオブコント』(TBS)が開催されるなど、年に1度開催されるお笑いコンテストを生中継する番組が誕生した。, この時期になると吉本興業や太田プロといった老舗のみならず、数多くの芸能事務所からお笑いタレントが登場するようになった。その中にはサンミュージック企画やソニー・ミュージックアーティスツ、ホリプロコム等従来お笑いタレントを手がけていなかった事務所も多数参入している。, フジテレビでは、ビートたけし・明石家さんま・ダウンタウン・ナインティナインに続けと「お笑い8周期説」に則り『新しい波8』が放送された。その後2001年に、キングコングがメインキャストを務めた『はねるのトびら』がスタート。「若手芸人」がブームの中心であったが、「若手」と言ってもその多くが20代後半-30代であるのが特徴的で、(芸歴で考えて)第四世代にあたる中堅芸人と同い年・同期あるいは年上・先輩であるなどといった不思議な現象が起きている。これは、コンビ結成が遅かったり、先のボキャブラ世代の時代にブレイクを逃したり、未だ東京進出を果たしていなかった大阪吉本所属の芸人が多く流入してきたことや、これらの芸人の知名度が低いゆえに正規の第五世代と同じ扱いを受けたことが主な要因である。特に『ボキャブラ天国』に起用されていた芸人(いわゆる「キャブラー」)が東京芸人に偏重していたため[注釈 1]、中川家、ケンドーコバヤシ、たむらけんじ、陣内智則などボキャブラ芸人とほぼ同世代の関西芸人が第五世代のブームによって売れるケースが目立った。, 2000年代中期から後期にかけては、先述の4番組の他にも『ウンナン極限ネタバトル!

青空球児・好児 ゲロゲ~ロ、ゲロゲ~ロ、ゲロゲ~ロ、ゲロゲ~ロ 昭和40年(1965)の結成。平成、令和と現役漫才コンビとしては最も古い芸歴です。 センターマイクを使わず、ステージを所狭しと動き回りながらの大きなアクショ […], 青空千夜・一夜 背が低く黒縁眼鏡にぽっちゃり体型の千夜にがっしりした大柄の一夜。 一夜が一方的に喋り、千夜が受けるボケ・ツッコミの役割がはっきりした漫才の典型でした。 昭和29年(1954)に青空一門(コロムビトップ・ラ […], 秋田Aスケ・Bスケ みやこ蝶々・南都雄二、ミスワカサ・島ひろし 、夢路いとし・喜味こいしとともに、秋田實の漫才道場の第一期研修生になり、昭和13年にコンビを結成。正統しゃべくり漫才で人気を博しました。 戦時中は英文字の使 […], 内海桂子・好江 戦後間もない昭和25年(1950年)から平成9年(1997)まで、実に半世紀にわたる音曲漫才コンビ、内海桂子・好江。 葉に衣を着せぬ江戸っ子らしい啖呵でファンに愛されました。 桂子は幼い頃から奉公の傍ら三 […], 海原お浜・小浜 昭和8年(1933)結成。 小浜は4歳で旅芸人一座の子供座長デビューし、大正12年(1933)に叔母の小浜とコンビを組み「海原お浜・小浜」で漫才デビュー。 長らく地方巡業を行いますがなかなか芽が出ませんで […], 海老一染之助・染太郎 正月番組で必ず目にした、口に咥えた扇子の上に土瓶を載せてくるくる回したり、傘の上で鞠や枡を回す芸。 染太郎の話術と染之助の曲芸で、「おめでとうございま~す」「ありがとうごさいま~す」「いつもより余計 […], かしまし娘 「ウチら陽気なかしまし娘 誰が言ったか知らないが 女三人寄ったら 姦しいとは愉快だね。ベリーグッド ベリーグッド お笑い お喋り ミュージック 明るく歌って ナイトアンドデイ ピーチクパーチク かしましい」 […], 上方柳次・上方柳太 昭和57年(1957)にコンビを結成し、「会いたかったよぉ~!」「まかせなさ~い!」などのギャグや、ボケ役のデボチン柳太とツッコミ役の二枚目柳次の個性とコントラストが多くのファンに愛されました。 柳太 […], 川上のぼる 少年時代からチャップリンやヒトラーのモノマネを得意にし、旧制中学時代に映画で見た腹話術師エドガー・バーゲンに心酔、手作りの人形で腹話術を披露し、学校の文化祭や各地の余興に呼ばれるようになるうち中村メイコの劇団 […], 京唄子・鳳啓助 昭和31(1956)年頃に夫婦コンビ結成、離婚後もコンビで活躍しました。 「ボテチン」「え、鳳啓助でございます」などとぼけた味の啓助と、「大口女」「エロガッパ」とやりあう二人が楽しい高座でした。 テレビ番 […], ケーシー高峰 1968年にケーシー高峰の芸名で本格的に活動を開始。 白衣姿で黒板やホワイトボードを用いるエロ医事漫談の創始者として長く活動していました。 専門的な医学知識を披露しながらシモネタとダジャレで展開していくスタ […], コロムビア・トップ・ライト トップは戦闘機乗り(加藤隼戦闘隊)で、抑留、復員後に仲間の慰問を兼ねて活動を開始、昭和27年(1952)に漫談家だったライトとコンビを組んでコロムビア・トップ・ライトを結成。 社会を風刺する時 […], コント55号 昭和41年(1966)結成。 「なんでそうなるの!」(萩本)「飛びます!飛びます!」(坂上)などのギャグとともに舞台狭しと飛び回る体当たりコントは目新しく、大人気となりました。 「お昼のゴールデンショー」( […], ザ・ドリフターズ 昭和31年(1956)結成。1960年代に入ってからメンバーが固定され、1966年6月30日に来日したビートルズの前座を努めて注目されたことをきっかけに、『8時だョ!全員集合』(1969年-1985年) […], 桜井長一郎 政治家、役者、楽器、動物など幅広い声帯模写で人気を博しました。 琴の音を模写した時に、客がスピーカーはどこだと上を見たのを、「上見たって何もないですよ、私が口でやってるんだから」と言ったのが大受けになって以降 […], 獅子てんや・瀬戸わんや 昭和27年(1952)に、警察官と役人から漫才に転向してコンビとなり、瀬戸内地方を舞台にした獅子文六のベストセラー『てんやわんや』にちなんで名付けたといいます。 TBS『家族そろって歌合戦』の司会 […], 島田洋之介・今喜多代 大きな体でおっとりとした受け答えの洋之助と、小柄な喜多代の威勢のいいツッコミのコントラストで人気を集めました。 洋之介がセンターマイクを上げる、喜多代が下げるといった動きも笑いを呼びました。 データ […], 正司敏江・玲児 昭和41年(1966)にコンビ結成。 かしまし娘の正司歌江門下にいた敏江と玲児。 玲児が敏江と交際していたことが発覚し、歌江から破門を言い渡されます。 玲児は”正司”を名乗れず、コ […], 人生幸朗・生恵幸子のぼやき漫才 「責任者出てこい!」で一世を風靡したぼやき漫才。 終戦後の1954年から1982年に幸朗が亡くなるまで活動していました。 「浜の真砂は尽きるとも、世にぼやきの種はつきまじ」  「キザなこと […], ゼンジー北京 ゼンジー中村に師事して昭和38年(1963)に初舞台。 「タネもシカケもちょっとアルよ」と言いながら、誰にでもタネがわかってしまうようなマジックを披露して笑いをとり、最後に本格的なマジックで幕となるのが定番 […], Wけんじ 昭和36年(1961)コンビ結成 「私、宮城けんじ」 「僕、東けんじ」 [二人合わせて、Wけんじ!」 に始まり、 「遅いよ」「やんなっ!」「なっ!オー!」「バカだなっ!」などのギャグで人気沸騰、東が立ち位置で歩 […], Wヤング(ダブルヤング) 昭和39年(1964)結成 「リズムデッサン」というトリオで活動していた平川と中田が初代の「Wヤング」を結成します。 当初は音曲漫才、後にしゃべくり漫才に転向し、駄洒落をふんだんに織り込んだ漫才 […], ~ちゃっきり娘 ちゃっきり娘 昭和38年(1963)結成。 「ハァ~、ちゃっきり、ちゃっきり、ちゃっきりな!、ちゃっきり娘が、飛び~出~し~た~」のオープニングソングで知られます。 アコーディオンの秋美、ギターの夏美、三 […], チャンバラトリオ 昭和38年(1963)に斬られ役の俳優をやっていた山根、南方、伊吹の三人で結成。 本格的な立ち回りの剣劇のあと、大きなハリセンで叩かれておおげさに痛がる演出が笑いを呼びました。 バラエティ番組などでもよ […], てなもんや三度笠 最高視聴率64.8%と、お笑いコメディ番組としては歴代最高記録を樹立した人気番組で、現在もこの記録は破られていません。 時次郎と珍念が旅道中でさまざまな事件に遭遇し、歌と笑いの中で事件を解決していくスト […], 東京コミックショウ アラブ人風のおじさんが縦笛を吹いて赤・黄・緑の3つのツボからぬいぐるみの蛇を出して芸をさせる「三蛇調教」。 ほとんどいつも同じネタで、なんでおもしろいのかわからないのですけど、何度も見てしまいます。 […], 東京ぼん太 唐草模様の風呂敷包みを背負い、栃木弁の愛嬌のあるしゃべりと「夢もチボーもないね」「イロイロあらあな」などのギャグで人気になりました。 そうそう、こんな感じでした。 昭和51年(1976)に賭博容疑で逮捕されて […], 東洋朝日丸・日出丸 昭和38年(1963)結成 兄弟で結成した浪曲漫才。 珍しいバンジョーウクレレとギターで、浄瑠璃や歌舞伎でも上演される曾我十郎・五郎兄弟の仇討ちの物語「曾我物」などを得意にしていました。 ぽっちゃりと […], あなたのお名前なんてぇの?~トニー谷 トニー谷 昭和24年(1949)、日米野球の歓迎会の司会で一躍注目を浴びます。 「さいざんす」「おこんばんは」「ネチョリンコンでハベレケレ」や、独特のジャパニーズイングリッシュ「トニ […], トリオ・スカイライン/ナンセンストリオ/ナンセンス 昭和39年(1964)に結成 昭和46年(1971)に解散しますが、解散以降の個々の活動のほうが世間の注目を集めています。 東八郎はNHK『お笑いオンステージ』『志村け […]. 草笛と黒柳は女性バラエティタレントの先駆者であり、黒柳は現在もなおバラエティ番組に出演し続けている。, 日本テレビ開局当日に発生した放送事故の穴埋め番組出演を機に、2代目三遊亭歌奴(3代目三遊亭圓歌)・三遊亭小金馬(現:4代目三遊亭金馬)・一龍齋貞鳳・3代目江戸家猫八の4人は正力松太郎同社社長に認められ、番組一本を持たされた。これに目を付けたNHKは2代目歌奴以外の三人を引き抜き、『お笑い三人組』をスタートさせる。一方、文化放送で放送された『落語討論会』をフジテレビがテレビ化し、大喜利番組『お笑いタッグマッチ』(5代目春風亭柳昇司会)がスタート。レギュラー陣の4代目柳家小せんが発した「ケメコ」の流行語も相まって一躍人気番組となった。この流れが後述の「演芸ブーム」に繋がる。, テレビ創成期にあっては、映画は、いまだ娯楽のメディアとしての優位性を誇っており、特に、カラーテレビの普及までは、手軽ではあるが、画像・音声で劣るものとの認識があった。テレビで人気が出たコメディアンも予算が豊富な映画を重視する傾向があり、クレージーキャッツなどは、ゴールデンウィークや年末といった時季に合わせ、シリーズものの大作喜劇を制作し、爆発的にヒットした。, 1962年頃から1969年頃まで続いた、テレビの演芸番組を中心としたブーム。景気後退の中、番組制作費が抑制された各局は制作コストがかからず視聴率が取れる演芸番組に傾斜。また、視聴者の側も不景気による沈滞ムードの中、テレビに笑いを求めていた。, 1979年から1982年頃まで続いた、テレビの演芸番組を中心としたブーム。演芸ブームの後、コント55号(のちに萩本欽一)・ザ・ドリフターズの2強時代となり、総じて東京発のバラエティー番組がお笑いの主流を占めていた。上記2組の間隙を縫って、せんだみつおや桂三枝(現・6代目桂文枝)、伊東四朗&小松政夫などが台頭してきたが、この手のバラエティー番組はほぼやり尽くされた感があり、全国ネットのテレビの笑いは一種の砂漠化現象となっていた。

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